ハゲる気配 - 育毛実践の記録☆薄毛対策30年をふりかえる

ハゲるかもしれない、という気配

ハゲるかもしれない。


そういう気配が感じられたのは。、昭和56年春に社会人になってからでした。


学生時代とは180度違った毎日が始まったのです。


私が入社したのは全国的なメーカーでした。


もともと営業関係の仕事がしたかったのですが、最初に配属されたのは経理でした。


伝票などの作成では、ちょっとした数字の違いが大きな事件になります。


昔あったじゃないですか、ネット通販で、パソコンの販売価格30万円を、3万円と表示したために、パソコンを1台3万円で販売したという事件が。


ゼロの数字が一つ違えば、こういう事件になるのです。



私は、数字を扱うのがニガ手なのに、経理係です。


毎日、夜遅くまで仕事がありますが、ミスしてはいけないので、神経が痛めつけられます。



「やっと、仕事が終わった・・・・」


と早く帰って、大好きな松田聖子のレコードをベッドに寝転んで聴こうと願っているのに、経理課長が、みんなに声を掛けます。


「おおーい、みんなで飲みに行こうぜっ!!」


夜の9時から繁華街に飲みに出かけます。


「酒なんかいらないから、早く帰りたいっ・・・・」


そう心で願いながらも、顔は笑顔をつくって、カラオケで「星降る街角」などを熱唱しなくてはなりません。


「みなさんの一員です」


ということを職場の人たちにアピール、アピール。


家に帰り着くのは深夜1時。


そんな日が3ヶ月、4ヶ月もつづくと睡眠不足や、酒の影響で、身体はヘトヘト。


若いからカラダが持ちこたえたのですが、身体の不調が現れ始めます。


「人間は弱いところから、症状があらわれる」


といわれます。


私の場合は「頭髪」です。


入社後4ヶ月もすると、髪が少なくなって、額部分が、大学生のときよりも後退していると感じました。


そこで、髪の分け目を変えました。


そうすると、いったんは、「髪の毛が少ない」という感じはなくなりました。


けれども、それはあくまでも「一時しのぎ」にすぎないのです。


この頃からテレビや雑誌の育毛剤のCMに関心がつよくなり、また、アデランスやアートネイチャーなどのカツラの宣伝をみるのがつらい気持ちになったのです。