育毛実践の記録☆薄毛対策30年をふりかえる

育毛漢方という希望の星の光り

薄毛の悩みは日に日に深まるばかりの昭和56年でした。

そんななかで、


「これで、髪は生えるかもしれない」


という希望が生まれました。


それは、漢方の権威者である高橋由美子先生の著書である、


「みるみる髪が生えてくる」


を本屋で見つけたときのことです。


本には明確な育毛法が書かれていました。


そして、


「遺伝性の薄毛、ハゲも治ります」と書かれていたのです。


希望の光りは、はじめはかすかなものでしたが、本を読み進めていくにつれて、



「これなら、髪が生えるだろう」



という確信めいたものが心に生まれましたね。


    *育毛書籍の金字塔「みるみる髪が生えてくる」を5分で読むブログ


とくに印象に残るのは、


1.髪は内臓が健全でないと生えない

2、育毛剤では髪は生えない

3.スピルリナをプーアール茶で飲み込むと髪は太くなる

4.猪毛ブラシで適切に頭皮を刺激すると髪が生える

5.粗悪なシャンプーだけは使ってはならない

6.野菜を多く食べる

7.紅クコ、蜜脾、ハスの種、などの漢方食を食べる、または煎じたり酒にして取り入れる

8.ヘアパックなら2ヶ月で生えそろう

9.睡眠が大事

10、酒は控える、タバコはやめる

などなど。


何度も読んだので、頭のなかに育毛・発毛の重要項目はしみこんでいますよ。



漢方の育毛については、私の最も大事な育毛実践項目です。


プロペシア、ミノキシジルの医療的な育毛法も大切に考えて実行していますが、漢方育毛療法のほうを私は重視していますね。


 (参考)以下の2つのブログで育毛漢方療法を詳しく解説しています。


1.育毛漢方のマニュアル

2.育毛シャンプーと育毛漢方でハゲよさらば



さて、まずは、実行です。


20代に実際に私が実行したことは、ほかのブログに書きましたので、ぜひ、読んでください。


3.育毛漢方を20代に、どう実践したかブログ


20代に実行した育毛漢方療法は、いまから思うと完成度は低いですが、「ポイント」は押さえていたのです。


実行しているうちに、


「おお、明らかに髪が元に戻りつつある」


と、うれしい声を上げる日が来たのでした。

薄毛進行のターボエンジン始動

薄毛化が進み始めた頃、心理的につらいものがありました。


まわりの人たちからの「からかい」に耐えなくてはならないからです。


そのころ私が受けた「からかい」のことは、このブログに書きました。


ブログ1;他人がハゲていくのがうれしくてたまらない人々


ブログ2.薄毛、ハゲをからかう悪意から身を守る法



忘れられない、私の育毛生活を続ける心理的なモチベーションともなったできごとです。


育毛の原点なのです。



さて、薄毛が進行すると、


女性とのデートのときにも、


「髪型は決まっているのか?」


と心配です。


ハゲ始めた頃の心理的な動揺は、私の人生においてもっとも苦しい時期の一つです。



でも、それは、まだ「始まり」にすぎなかったのですよ。


ある時期に、一気に薄毛化が進行を始めました。



昭和56年。


薄毛化の進行はターボエンジンがかかったように早まりました。


私の印象的には、10日間くらいでサーッと額が後退したように感じます。


とにかく、


「早い」


スピード。


あれよあれよ、という間にハゲていきます。


原因は、もう、わかっています。


心理的なストレスとともに、ハゲ遺伝子が活発化したのです。

ストレスが引き起こすハゲだったのでしょう。


そのころ、仕事が忙しく、新しい仕事も命じられました。


当時は会社にもパソコンなどはなかったです。



テレックスと呼ばれる通信機器を私が扱うようになったのです。



キーボードを打っていく仕事ですが、間違うと大変な事態になります。



そのため心は落ち着かず、昼の食事のときも「おえ〜」という軽い吐き気がするくらいでした。


新しい仕事を命じられてしばらくすると、仕事中、頭皮がカユイ状態になりました。



「か、かゆい、頭に熱を持っているようだ・・・・」

カユイのですよ、頭皮が。


その後、育毛の情報を学び、研究する中で、その当時のことがわかりました。


「頭皮の酸欠状態による炎症」


だったのですね。


頭皮の炎症で、毛根が焼き尽くされたのでしょう。




急速に髪が細く、少なくなったのですよ。



「これは、非常にヤバイ状態だぞ・・・・・」

「なんとか、せねばならん」




とりあえず、頭皮がかゆいので、

「これは、血行が悪くなっているからカユイのだ」

と判断しました。


よく、正しい理由をつかんだと思いますね。


神様が守ってくれたのですね。


頭皮のカユサをおさえるため、


人のいないところで、頭を手のひらで


パーン、パーン

と叩きました。


トイレとか、倉庫の中で。


そのことで、急速な薄毛化の進行は緩やかになりました。


でも、あきらかに薄毛となり、


「ああ、もう、オレはハゲという状態になったのか、まだ、20代半ばなのにぃ〜」


会社の先輩たちからは、ますます露骨なからかいの声を掛けられます。


また、大学時代の友人たちからも、


「あれ、その頭・・・・・、苦労してるようだな・・・・」


と笑われたり、同情をされたり。


その後、漢方育毛法に出会うまでは、希望の見えない状況でした。


昭和56年の薄毛化の始まりと、頭皮の炎症による急速なハゲ進行は、育毛生活30年の中でも、もっとも記憶に残っています。


昭和56年。


私にとっては、特別な年ですよ、ホント。


その後、高橋由美子先生の「みるみる髪が生えてくる」とう本に出会い、とにかく実践しました。


漢方育毛療法を実践するうちに、遺伝性のハゲでも治療できることがわかりましたし、健康面でもよくなったのです。


ただし、その後も、育毛生活は続きます。


昭和56年に続き、


昭和59年、


平成元年、


平成16年、


など、薄毛化との戦いがあったのです



漢方育毛法で髪は生えますが、



「薄毛遺伝子は消えたわけではなく体内に存在している」


ことを男性型脱毛症の人は忘れてはなりません。


なにかのキッカケで、薄毛遺伝子は活発化し始めるからです。


薄毛体質の人は、ずっと育毛を実践し続けなくてはならないのです。


髪の毛を維持したければ、そうするしかないのです。

育毛剤をはじめて買ったときの絶望感

育毛剤の宣伝は、私が小学生の頃からありました。


テレビCMでやっていたのです。


「抜け始めてわかる、髪はなが〜い友だち」


というテレビCMです。


また、


カロヤン

加美乃素


という名前も有名でした。


薄毛を感じた時に、まず試したのは、育毛剤です。


当時は薬局で販売されている育毛剤を買いに行くのは心理的に困難でした。


プライド?


「私は髪の毛は減ってきたことを悩んでいます」


ということを、ほかの人には知られたくなかったのです。



そこで、スーパーなど、育毛剤を買いやすい場所はないだろうかと探しました。


見つけたのは近くの中型のスーパーマーケットです。


1階が食品売り場。


2階が服やデオドラント商品、そして育毛剤も置いていることがわかりました。



そのスーパー二階に行きました。


午後7時くらいです。


もう、暗くなっていました。


スーパーのカゴには、欲しくもない雑誌などもいれています。


「育毛剤だけを買う」

ということはできません。


また、誰か知っている人に、育毛剤を購入しているところも見られら大変。



心理的にプレッシャーがあります。


購入したのは、育毛剤とはわかりにくいような商品でした。


ジェット噴射で頭皮に発射するタイプ。


薬局にはもっと強力な発毛パワーのある育毛剤もあると思いましたが、薬局で育毛剤を買うなどということは、プライドが邪魔するわけです。


夜のスーパーの2階で育毛剤を買い、階段を下りるときの絶望感・・・・。


「こんなもので髪が生えるはずがない」

という悲しみと苦しみ。



30年たった今でも、スーパーの2階で育毛剤を買った後、階段を下りるときに感じた絶望感は、忘れられません。


「いったい、これからオレはどうなるのだろう?」


「ハゲても会社に行かなくてはならない」


「もう、女性にはモテないかもしれぬ」


「町で知り合いにあったとき、薄毛姿を見られたくない」


そんな絶望感が次から次へと生まれてきて、平常心などもてません。


30年たって、あの絶望感を、いまはこうして安心してブログにも書けることがうれしいです。


このときに購入した育毛剤では髪が生えず、この後、さらに薄毛化、ハゲが進行します。


このときに多くの人にからかわれました。


ハゲの進行が、とてつもなく苦悩を生んでいるのに、まさに、そのときに他人からからかわれるのです。


「人間の本性は悪である」

とする哲学者もいますが、なっとくできるような気がします。


このときの体験から。



人がハゲで苦しんでいるのが楽しくてたまらない人が、この世にはいるのです。


悪魔的な人がいるのです。


たしかに、ハゲると見た目には「おかしい」感じになるので、周りの人にとってはピエロ役をしなくてはならなくなります。


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私のように、ハンサムな顔立ちのものがハゲてくると、いっそう「おかしさ」が周りには感じられるようでした。

ハゲるかもしれない、という気配

ハゲるかもしれない。


そういう気配が感じられたのは。、昭和56年春に社会人になってからでした。


学生時代とは180度違った毎日が始まったのです。


私が入社したのは全国的なメーカーでした。


もともと営業関係の仕事がしたかったのですが、最初に配属されたのは経理でした。


伝票などの作成では、ちょっとした数字の違いが大きな事件になります。


昔あったじゃないですか、ネット通販で、パソコンの販売価格30万円を、3万円と表示したために、パソコンを1台3万円で販売したという事件が。


ゼロの数字が一つ違えば、こういう事件になるのです。



私は、数字を扱うのがニガ手なのに、経理係です。


毎日、夜遅くまで仕事がありますが、ミスしてはいけないので、神経が痛めつけられます。



「やっと、仕事が終わった・・・・」


と早く帰って、大好きな松田聖子のレコードをベッドに寝転んで聴こうと願っているのに、経理課長が、みんなに声を掛けます。


「おおーい、みんなで飲みに行こうぜっ!!」


夜の9時から繁華街に飲みに出かけます。


「酒なんかいらないから、早く帰りたいっ・・・・」


そう心で願いながらも、顔は笑顔をつくって、カラオケで「星降る街角」などを熱唱しなくてはなりません。


「みなさんの一員です」


ということを職場の人たちにアピール、アピール。


家に帰り着くのは深夜1時。


そんな日が3ヶ月、4ヶ月もつづくと睡眠不足や、酒の影響で、身体はヘトヘト。


若いからカラダが持ちこたえたのですが、身体の不調が現れ始めます。


「人間は弱いところから、症状があらわれる」


といわれます。


私の場合は「頭髪」です。


入社後4ヶ月もすると、髪が少なくなって、額部分が、大学生のときよりも後退していると感じました。


そこで、髪の分け目を変えました。


そうすると、いったんは、「髪の毛が少ない」という感じはなくなりました。


けれども、それはあくまでも「一時しのぎ」にすぎないのです。


この頃からテレビや雑誌の育毛剤のCMに関心がつよくなり、また、アデランスやアートネイチャーなどのカツラの宣伝をみるのがつらい気持ちになったのです。

ハゲ予言と理容師の体験

ハゲる予言。

まあ、いまでもハゲに関しては関心が強い人が多く、よく若い人たちも仲間内で、


「おい、お前の頭、ヤバくね?きっとハゲるよ。可哀想に・・・ププッ」(←うれしそうに)


などと話がでたりしますよね。


聞かされた本人はつらいですよ。


「お前、金遣いが荒いから、そこは直さないといけないぞ」

「お前、浮気っぽいから、心を入れ替えろよ」

「お前、クツが汚いから、ちゃんと洗えよ」

などということなら、心は傷つかないでしょう。


けれども、


「お前、ハゲてきたから、早く治せよ」


とアドバイスされても、多くの人はただただ悩むことになるのです。


全然うれしくないアドバイスです。


私は今でこそ、どうすればハゲが治るかを体験的にわかっていますから、


「ハゲるかもしれないぞ」


と言われても、私の心は静かな湖の表面のようにおだやかなのです。



ところが、私が理容室でハゲの予言を聞いたのは、まだ大学生のころ。


まあ、今は50代になっていますから、若い頃の自慢も笑い話になり、イヤ味にならないと思うので、ありのまま言いますが、



大学生の頃は、顔がハンサムなので、女性にはよくモテていたのです。


まあ、「ハンサム」ということが、数年後、会社の男性先輩たち数名から、


心臓が凍りつくよな、


あるいは、


体内の血液が逆流するように悔しい、


「からかいの言葉」

を私が投げかけられる大きな要因ともなったので、ここに記載しておくことにします。


ほんと、大勢の人前で、屈辱的なからかいの言葉も受けましたよ


まさに、「カノッサの屈辱」状態ですよ。




また、顔がいいだけではなく運動も得意で、スポーツクラブのインストラクターもアルバイトでしており、いろんな女性から声を掛けられていたし、都会の有名大学に通っていましたから、


「ああ、人生は思うように進んでいる」


と少し堕落気味ではありますが、満足のいく青春時代だったのです。


「一流企業に入り、そこで会社のOLたちにモテまくり、30才までは結婚せずに、いろんな女性と付き合って、楽しく過ごそう」


などと、理想の人生設計をしていたわけですな。



そんな浮かれた私に、冷や水を掛けられたような出来事が、


「ハゲ予言」

だったのです。


バチがあたったのか・・・・?


大学時代には、自分に似合うベストのヘアスタイルを探していたので、理容室はときどき新しい理容室に行っていたのです。


ある理容室に行ったとき、散髪開始後すぐに、理容室のおじさんが、私の頭をさわりながら、


「ああ、固い。頭がカタイから、もうすぐハゲるね。」


といったのですよ。


思いがけなかったので、びっくりしました。


と、同時に、


「やはり、親類や、ご先祖さまたちの歩んだハゲの道を、オレも歩むのか・・・・」


と納得する自分もいたのです。


でも、その後すぐにはハゲの兆候は顕れなかったので、心の片隅にしまっておいた出来事でした。


私の体内のハゲ遺伝子が覚醒する3年くらい前の出来事なのです。

育毛生活30年の歴史と人生を振り返ってみる

育毛自分史:第一章  ハゲ遺伝子の覚醒前夜

ハゲ。

薄毛。

抜毛。


おそろしい言葉です。


でも、昭和56年までは、そういう言葉の本当の怖さは知らなかったのです。


高校生の頃には、街でザビエルハゲの中年男性を見かけたときなど、通り過ぎた後で、友人と、


「カッコわるいよねぇ。河童みたいだよねぇ」


などと笑っていたのです。



(BY 楽天)


でも、頭の中では、私の親類、そしてご先祖様たちのハゲ頭の写真を思い出し、


「いずれ、オレも40歳くらいのオジサンになったら、髪が少なくなるかもしれない・・・・」


と、心に冷たい氷のような恐怖を感じていました。


まあ、実際には40代ではなく、20代前半で「その時」が来たわけですが・・・・。


高校生の時は、遠藤周作のエッセイと富島健夫の恋愛小説が大好きで、吹奏楽部の練習が終わると、一日に2時間、3時間と読書をしていました。


遠藤周作は、かなり薄毛を気にしていたようで、ハゲの話題をよくエッセイに取り上げていたのです。


その読書によって、ハゲに対する知識は、かなり増えていました。


そして、


いかにハゲが治りにくいものか、ということ。


ハゲがどれほど男を苦しめるのか、ということ。


カツラをつけるデメリットの大きさ。


などなど、薄毛に関する知識を得ていたのです。


遠藤周作はエッセイのなかで、



「ハゲるやつはハゲる。ハゲないやつは白髪になる。これは運命である」


と断言していました。


ところが、ほかのエッセイでは、


「友人からすすめられた育毛剤が効果があり、額の部分に髪が生えてきました。興味のある方は編集部までご連絡いただければ、その育毛剤の名前を教えます」


というような内容のエッセイも書いているのです。


心が揺れ動くんですよね・・・・。



ハゲは遺伝だから治らないとあきらめたり、


「もしかしたら、この育毛剤は効くのか?」


と希望が芽生えたり。


今の私の体験から、薄毛対策の効果について感想を率直に言うと、


「遺伝のハゲも治る。育毛の努力によって、同年代の平均的な頭髪量までは可能。ただし、ハゲ遺伝子があると、どうしても人並み以上のフサフサ髪は難しく、育毛に限界がある」

と感じています。



もちろん、私は現在も日々、育毛には努力をしており、同年代の平均以上のフサフサ髪を目指しています。


木村拓哉くらいのフサフサ髪になれば最高ですが。


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さて、学生時代には、ハゲを予感させる出来事がありました。


その日のことは、忘れられません。


理容室で、将来の人生の希望が、一気に曇るような「ハゲ予言」を理容師から告げられたからですよ。